木曜の16時、取引先の総務担当から電話が入ります。「来月から契約書は電子でお願いすることになりまして、御社は対応可能ですか」。手元には紙の契約書ファイルがあって、机の端に印鑑ケースが置いてある。「ちょっと確認して折り返します」と答えて受話器を置いたところから、この記事は始まります。

折り返しの電話までに決めなければいけないことは、実はそれほど多くありません。ただ、検索して出てくる記事のほとんどが電子契約サービスを売っている会社のもので、読むと「どのサービスにするか」の話になっています。そこから入ると、月額の比較表を見比べたまま1週間が過ぎます。

先に決めるのは、契約のどこを電子にするか

電子契約は、全部を一度に切り替える必要がありません。契約の種類ごとに、紙のままにするか電子にするかを選べます。だから最初に決めるのは、サービス名ではなく「どの契約から電子にするか」のほうです。

そもそも契約は、書面や押印がなくても成立するのが原則で、民法にそう書かれています。

契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない。

民法 第522条第2項

「法令に特別の定めがある場合を除き」の部分に、書面でなければいけない契約がいくつか残っています。事業用定期借地権や任意後見契約のように公正証書が要るもの、農地の賃貸借のように書面で内容を明らかにする義務があるものです。どれが該当するかは契約書の電子化|電子化できない契約の一覧と根拠に条文ごとに整理してあるので、自社の契約類型がそこに当たらないかだけ先に見てください。当たらなければ、あとは自社の判断で決められます。

いま契約しているツールで、どこまでできるか

ここが、電子契約の記事ではあまり書かれていない部分です。新しくサービスを契約する前に、すでに毎月払っているものの中に署名を送る機能が入っていることがあります。

Google Workspace と Microsoft 365 で署名依頼を送れるかを3枚のカードで比較した図。Business Standard 以上は管理者が有効にしていれば追加契約なしで送れ、署名する相手側は契約も費用も不要。Business Starter と無料のGmailは公式ヘルプの対象一覧に入っていない。Microsoft 365 は月額に署名依頼の機能が含まれず、デジタル署名は別物で自作の証明書だと相手が検証できない。
新しく契約する前に、いま払っているものの中身を見る

Google Workspace には、電子署名の機能が入っています。Google ドキュメントかドライブ上のPDFに署名欄を置いて、相手のメールアドレス宛に署名リクエストを送れます。相手が署名を終えると、監査証跡のページが付いたPDFが自分のドライブに戻ってきます。

ただしどのプランでも使えるわけではありません。Googleのヘルプに対象が書かれています。

Workspace Individual アカウント。/以下の Workspace プラン(管理者が機能を有効にしている場合): Business Standard、Business Plus / Enterprise Starter、Enterprise Standard、Enterprise Plus / Enterprise Essentials、Enterprise Essentials Plus / Education Plus ユーザー

Google ドキュメント エディタ ヘルプ「電子署名の署名リクエストの送信とドキュメントの電子署名」

この一覧にBusiness Starter は入っていません。無料のGmailアカウントも対象外です。中小企業で「Google Workspace を使っている」という場合、いちばん安いBusiness Starterのことが多いので、まず自社がどのプランかを確認してください。管理コンソールか、請求の明細に出ています。Standard 以上であれば、追加の契約なしで今日から送れます。

署名する側、つまり取引先には条件がありません。Workspaceの契約は要らず、届いたメールのリンクから署名できます。これは相手にお願いするときに効く材料なので、あとでもう一度出てきます。

制限として公式に書かれているのは、1つの書類に置ける入力欄が200個まで、1回のリクエストの署名者が最大10人まで、という2つです。月に何通までという上限は、ヘルプに記載がありません。「無制限」とも書かれていないので、大量に送る予定があるなら事前に確かめたほうがいいと思います。

一方でMicrosoft 365 のほうは、追加費用なしで使える署名機能がありません。Microsoft にも eSignature という機能はありますが、公式ドキュメントには Azure の従量課金を紐づけることが利用の前提だと書かれていて、Business Standard などの月額に含まれているものではありません。

WordやExcelの「デジタル署名」は、名前は似ていますが別のものです。文書が改ざんされていないことを示す仕組みで、使うには証明書が必要になります。自分で作った証明書でも署名はできますが、その場合について Microsoft は次のように注意しています。

自分で作成したデジタル証明書を使用して文書にデジタル署名し、その署名済みファイルを共有した場合、他の人は、あなたの自己署名証明書を信頼すると手動で判断しない限り、デジタル署名の真正性を検証できません。

Microsoft サポート「デジタル証明書を取得してデジタル署名を作成する」(要旨)

つまり、相手に送って確認してもらう用途には向きません。Microsoft 365 を使っている会社が電子契約を始めるなら、専用のサービスを別に契約する前提で考えることになります。

30分・無料・オンライン

期限に間に合うかだけ、先に確かめる

制度は要件も締切も年ごとに変わります。自社が対象に入るのか、いまから動いて間に合うのか。判断に必要なのはたいていこの2つで、そこだけ確かめるための時間として使ってもらって構いません。

空いている日時を見る →

オンライン(Google Meet)。売り込みはしません。

立会人型と当事者型、どちらを選ぶか

電子契約サービスには大きく2つの型があります。サービス提供会社が利用者の指示を受けて署名する立会人型(事業者署名型)と、契約する本人が自分の電子証明書で署名する当事者型です。仕組みの説明と、なぜ立会人型でも法律上の推定が及びうるのかは電子署名法とは|3条が決めているのは有効性ではないに書いたので、ここでは選び方だけにします。

判断の軸は2つだと思います。

1つ目は争いになったときに、立証の負担を負うのが自社かどうかです。金額が大きい、期間が長い、過去にその相手ともめたことがある。こういう契約は、相手が「そんな契約はしていない」と言い出したときに、こちらが証明する側に回ります。国が出しているQ&Aは、立会人型について「一般論として」推定が及びうると書きつつ、次のようにも述べています。

現状では必要な基準についての裁判例の蓄積が十分でなく、身元確認の水準や防御レベルが低い場合には、実際の裁判において真正な成立を推定するためには不十分であると判断される可能性がある。

デジタル庁・法務省「電子署名法第3条に関するQ&A」(令和2年9月4日、令和6年1月9日一部改定)問5

重い契約ほど当事者型を検討する理由がここにあります。逆に、秘密保持契約や毎月の定型的な発注のように、争いになる可能性が低くて本数が多いものは、立会人型のほうが現実的です。

2つ目は相手が用意できるかです。当事者型は相手にも電子証明書が要ります。協力会社が5人の会社だと、そこで止まります。相手が用意できない型を選ぶと、契約が進まないという形で跳ね返ってきます。

なお、どちらを選ぶかは法律上の効力の話に踏み込むので、金額の大きい契約で迷ったときは顧問弁護士に一度見てもらうのが確実です。ここでは制度の枠組みまでにしておきます。

相手に電子契約をお願いするとき、何を伝えるか

自社が送る側になる場合、相手の担当者が社内で説明できる材料を渡さないと止まります。年配の担当者に嫌がられるのではないか、という心配をよく聞きますが、実際に相手が引っかかるのは気持ちの問題より手続きの問題であることが多いです。

伝えると通りやすいのは、次の3つだと思います。

  • 相手側に費用も契約も要らないこと。署名する側はサービスを契約しません。届いたメールのリンクを開いて署名するだけです
  • 相手の手元に何が残るか。署名が終わると、両方に完成したPDFが届きます。「紙が手元に残らないと困る」と言われたら、そのPDFを相手が印刷して保管することは止められていません
  • やめたくなったら紙に戻せること。次の契約から紙に戻す判断は、いつでもできます。一度電子にしたら全部電子、という決まりはありません

それでも相手が紙でないと困ると言う場合の、紙と電子が混ざった状態をどう管理するかは契約書の電子化のほうに書いてあります。この記事は、相手に乗ってもらうところまでを扱います。

もう1つ、相手にとって分かりやすい材料があります。電子契約には収入印紙が要りません。国税庁の質疑応答事例に、理由が書かれています。

印紙税の課税対象となるのは、課税物件表の物件名欄に掲げられている文書であり、電磁的記録は文書に含まれません。したがって、お尋ねの電磁的記録に印紙税は課税されません。

国税庁「請負契約書を電子メールで送信した場合の印紙税の取扱い」(令和7年8月1日現在の法令・通達等に基づく)

1件あたり数百円から数万円の話なので、本数が多い相手ほど効きます。ただし1つ注意があります。電子で送ったあとに、同じ契約書の現物を別途「念のため」と紙で渡すと、その紙は課税文書になります。両方やると印紙代は元に戻るので、電子にすると決めたら紙は作らないでください。ほかにも印紙が消えない場面があり、自社で年間いくら浮くのかの出し方とあわせて電子契約の印紙税|不要になる理由と、課税される場面に整理しています。

1件目を通すまでの手順

折り返しの電話までにやることと、実際に1件目を送るまでの順番です。

電子契約の1件目を通すまでに決めることを5段階で示した図。1、自社のプランを確認する。2、金額が小さく取り返しのつく契約を1つ選ぶ。3、誰が送信するかを金額で線を引いて決める。4、相手に電話で先に伝える。5、終わったPDFの置き場所と担当を決める。
4番目と5番目は、ツールを選んでも解決しない
  1. 自社のプランを確認する。Google Workspace なら Business Standard 以上かどうか。Microsoft 365 なら、この時点で別途サービスを探す前提になります
  2. 1件目に使う契約を1つ選ぶ。金額が小さく、相手が身内に近く、失敗しても取り返しがつくもの。基本契約ではなく、追加発注の注文請書あたりが向いています
  3. その契約類型が書面必須に当たらないかを見る。ここだけは順番を前にしておいてください
  4. 誰が署名を送るかを決める。ここが後になって必ずもめる場所です。金額いくらまでは担当者、それ以上は社長、という線を先に引いてください。紙のときは印鑑を持っている人が実質の権限者でしたが、電子にすると誰でも送信ボタンを押せてしまいます
  5. 相手の担当者に電話で先に伝える。いきなり署名依頼のメールが届くと、相手は迷惑メールだと思います。上の3つの材料をここで話します
  6. 送る。署名欄を置いて、相手のメールアドレスを入れて送信します
  7. 完成したPDFの置き場所を決める。署名が終わったPDFは、そのままにしておくと担当者のドライブの中に散ります。契約書の保管場所を先に1つ決めて、そこに入れる担当を決めてください

4つ目と7つ目が、あとから効いてきます。置き場所を決める話は、社内の都合だけの問題ではありません。契約の相手が個人事業主やひとり法人の場合は、契約書とは別に、発注のたびに取引条件を明示して残すことが法律の側からも求められます。そちらはフリーランス法の対応|LINEで発注する側がやることに分けました。どちらもツールの設定ではなく社内の取り決めなので、サービスを選んでも解決しません。逆にここさえ決まっていれば、使うツールは途中で変えられます。

受け取った請求書や領収書を紙のまま保管するかどうかは、契約書とは別の制度の話になります。そちらは請求書の電子化|紙をやめる前に決める3つスキャナ保存後に原本破棄していい?要件と例外に分けてあります。

では、うちはどうするか

冒頭の、取引先からかかってきた電話に戻ります。折り返しで言えるようにしておきたいのは「対応できます」の一言と、そのあとに続く一文です。「今こういう形で進めていて、御社からいただく分はこの方法でお願いできます」と言えれば、その場は終わります。

そのために決めるのは、サービス名ではありません。どの契約から始めるか、誰が送信するか、終わったPDFをどこに置くか。決めるのはこの3つで、ツールはそのあとに選んでも遅くありません。すでに Google Workspace の Standard 以上を使っているなら、選ぶ前に1件試せます。

私たちデジタル屋さんは電子契約サービスを販売していないので、特定の製品をおすすめすることはありません。かわりに、いま入っているツールで足りるのか、足りないなら何を基準に選ぶのか、社内の権限をどこで切るのかを、外から一緒に決める立場で入っています。取引先ごとに条件が違って順番が決まらない、社内に相談できる人がいない、という状態でしたら、会社の課題診断(無料・登録不要・3分ほど)で現状を切り分けるところから使ってみてください。

この記事で参照した一次情報

お気軽にご相談ください

企画段階のご相談でもOKです。1〜2営業日以内にご返信します。

ご入力いただいた個人情報は、お問い合わせへの対応のためにのみ利用いたします。