デジタルヒューマンという未来に、僕たちが挑戦する理由

「まちのデジタル屋さん」では現在、デジタルヒューマンの制作・運用に力を入れています。
正直に言うと、僕がデジタルヒューマンに興味を持った出発点は、 「対話を再構築したい」とか、「社会課題を解決したい」といった立派なものではありません。
もっと単純で、もっと個人的な理由です。
デジタルヒューマンが実現する未来を想像したとき、
ただただ、心からワクワクした。
それがすべてでした。
そもそも「デジタルヒューマン」とは何か
― 僕たちが目指すもの、目指さないもの ―
まず最初に、「デジタルヒューマンとは何か」について、
まちのデジタル屋さんとしての捉え方をはっきりさせておきたいと思います。
というのも…デジタルヒューマンという言葉は、業界によって違う方向を指して使われているからです。
デジタルヒューマンには(大きく分けて)2種類あると思う
たとえばロボティクスの世界では、人間そっくりのデジタルヒューマンを仮想空間上に再現し、
さまざまな動きを実行させて学習・検証を行うといった使い方があります。
**「ヒューマン・デジタルツイン」**と呼ばれる分野です。
医療、スポーツ、ロボティクス、AI研究などでは、この考え方がとても重要になります。
ここで求められるのは、
- どれだけ正確に再現できているか
- どれだけ現実の人間に近いか
- どれだけデータとして扱いやすいか
という点です。
もう1つのデジタルヒューマン「仮想人間」としての存在
一方で、僕たちが考えているデジタルヒューマンは、この方向とは まったく別のところ にあります。
僕たちが考えているのは
- アバターとしてデジタル上に存在する
- 声や表情を持つ
- AIによって自然かつリアルタイムに対話ができる
人とコミュニケーションを取るのがメインの存在で、必ずしも人間の身体構造や可動域を精密に再現する必要はありません。
同じデジタルヒューマンでも、目指しているものが違う
どちらも「デジタルヒューマン」と呼ばれますが、目指しているゴールはまったく違います。
研究・解析のためのデジタルヒューマンは、人間を理解してロボティクスに落とし込むための存在。
僕たちが目指す、コミュニケーションのためのデジタルヒューマンは、人と人をつなぐための存在です。
どちらが正しいということではなく、役割が違うのです。
なぜ「コミュニケーション」を重視するのか
そして、まちのデジタル屋さんが目指すのは、はっきりと 後者 です。
- 人と会話する
- 人の想いを引き継ぐ
- 人の役割を担う
- 人が考えるきっかけをつくる
人間を中心に据えたデジタルヒューマン、 人と話せる存在としてのデジタルヒューマン を、
ちゃんと社会に根付かせることが僕たちのミッションです。
教育は、もっと“体験”に近づけるはず
さて、“僕たちが目指す”デジタルヒューマンの活用例について考えます。
たとえば教育。
今の“学び”のあり方というのは、どうしても「読む」「聞く」「覚える」という一方的なものに寄っていると思います。
でも、デジタルヒューマンが当たり前になったら、学びの形は大きく変わるはずです。
たとえば、子どもたちが歴史を学ぶとき。
教科書を一方的に読むのではなく、歴史上の偉人と会話しながら、
「あなたは、なぜその選択をしたんですか?」
「もし今の時代だったら、どう考えますか?」
そんなやり取りができたら、歴史は“暗記科目”じゃなくなると思います。

あるいは、企業であれば営業ロープレで活用できるでしょう。
トークスクリプトを読み込んだり、研修に参加して話しを聞くだけではなく、実際に誰かと対話しながら学ぶことが、もっとリアルに、もっと安全にできるようになる。
それも、AIなら24時間365日、文句も言わずに対応してくれます。
想いは文章よりも「会話」で残せる
もう1つ、強く感じているのが想いの継承についてです。
たとえば創業社長。
自分がどんな思いで会社を立ち上げ、どんな壁にぶつかり、どんな価値を大切にしてきたのか。
それを文章や動画で残すことは、当然ですが今でも十分にできます。
でも正直、それだけでは足りないとも感じています。
もし、創業社長の思考や価値観を組み込んだデジタルヒューマンがいたらどうでしょうか。
2代目、3代目の社長が大事な選択に迷ったとき、創業社長の想いを引き継いだデジタルヒューマンと対話しながら、
「この判断は、創業時の想いから外れていないか」
「創業者ならどう考えるだろうか」
そんなふうに思考を深めることができる。
もちろん僕たちは、AIが人間を支配し、AIに人間の選択を委ねるディストピア的な世界を目指しているわけではありません。
ただ、デジタルヒューマンが、人がより良い選択を行うための補助をしてくれる存在にはなれるはずです。
僕は、そこにものすごく大きな価値があると思っています。
倫理的に難しい領域にも目を背けたくない
デジタルヒューマンには倫理的に難しい側面もあります。
亡くなった人を再現し、「もう一度会いたい」という気持ちに寄り添うこと。
これは安易にやるべきことでもないと思っていますが、一方で価値があることでもあるのです。
今からおよそ5年ほど前、美空ひばり没後30年のタイミングで、美空ひばりさんがAIで復活。紅白歌合戦で新曲を披露し、大変な話題を浴びました。
と同時に、非常に多くの批判も寄せられました。
僕としても、批判の内容に同意します。
「故人を再現することで、生きている人が故人に依存するのではないか」 まったくもってその通りです。
一方で、デジタル空間上であったとしても、大事な人が生きていてくれることで救われる人がいることも、疑いようのない事実でしょう。
美空ひばりさんの新曲を聞き、彼女がいなかった30年に想いを馳せ、自分を励まし、明日の活力にした方は多くいるはずです。
また、本人の希望があればですが 「自分を生きた形として残したい」 という願いを否定することもまた難しいです。
だからこそ、まちのデジタル屋さんとしてデジタルヒューマンを扱うなら、
技術よりも先に、 どう向き合うか、どこまでやるか、何をやらないか。 そこを丁寧に考え続けたいと思っていますし、考える責任があると思います。
デジタルヒューマンは確実に身近になってきている
最近、筑波大学がスマートフォンだけで、人間そっくりの3Dアバターを構築し動かす技術をオープンソースで公開しました。
万博の落合館「null2」で使用した技術、筑波大学がコード公開 スマホだけで動く実写3Dアバターを作成 – ITmedia
デジタルヒューマンは、もう「遠い未来の研究テーマ」ではありません。
少しずつ、でも確実に、僕たちの生活圏に近づいてきている。
いつかは、
留守番電話をデジタルヒューマンが代わりに受けて要件を聞き出す。
身体情報と連携して、 医者の問診 を事前にデジタルヒューマンが行う。
デジタルヒューマンが、信頼できるもう1人の自分として振る舞う。
こうした未来は、突飛なSFではなく、現実的な延長線上にあります。
10年後か、20年後かは分からない。でも
この未来が、10年後に来るのか、20年後に来るのか。
正直、それは分かりません。
でも1つだけ、間違いないことがあります。
デジタルヒューマンは、僕たちの生活や価値観を、確実に、かつ大きく変える技術になる。
だからこそ、この分野に挑戦する価値は、めちゃくちゃある。
もちろんビジネス的な判断もありますが、それ以上に 「デジタルヒューマンが作り上げる未来」のワクワク に、僕たちは全力で投資していきます。
ぜひ皆さんも一緒に、デジタルヒューマンが作る未来について考えましょう。
課題整理から実装まで、状況に合わせて伴走します。